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東京地方裁判所 昭和52年(ワ)1656号 判決

原告

甲野一郎

右訴訟代理人

丸山輝久

外三名

被告

右代表者法務大臣

倉石忠雄

右指定代理人

菊地健治

外三名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実《省略》

理由

一原告が昭和四八年八月一三日以降爆発物取締罰則違反等被告事件の被告人として、被告の管理運営にかかる東京拘置所に勾留されていることは当事者間に争いがない。

二〈証拠〉を総合すると、原告は昭和五一年九月三日午後五時ころ仮監事務室において東京拘置所の職員である深山区長から片手でその左上腕部を掴まれたこと、そこで原告は同区長の手を振払おうとしてその腕を振り、その結果同区長に掴まれていた左上腕部に全治三日程度の挫傷(内出血)を負つたこと、またその際菅野看守は原告の両肩ないし首筋辺りを掴み押えて原告を仮監事務室内の東海林係長の机の前に押戻したことが認められ、〈証拠〉中右認定に反する部分(殊に傷害の全治に十数日を要したとの部分)は、前掲各証拠及びこれによつて認められる事実関係(殊に傷害の内容)に照らし不自然であり採用することができず、他に右認定を左右する証拠はない。なお、原告は、右に認定した以上の程度内容の暴行を加えられた旨主張するが、〈証拠〉中これに副う部分は前掲各証拠に照らし採用できない。

三ところで、前示のとおり原告は当時被告人として勾留されていたのであるが、被告人の勾留制度は、被告人の逃走及び証拠湮滅の防止を目的として、被告人を監獄内に集団的・強制的に収容・管理するものであるから、右制度目的の実現及び監獄という人的物的な収容施設における秩序と紀律の維持のため、勾留中の被告人の自由に対し必要な合理的制限が加えられるのもやむをえないというべきである。そして、勾留中の被告人が右のような制限に反する行動をとつた場合には、監獄の長その他勾留中の被告人を戒護する責任のある者(以下、監獄の長等という。)は、その違反者に対し、違反行為をとりやめるよう指示し、必要があれば戒護上相当と認められる強制力をもつてこれをやめさせ、また将来同種の行動に出ないよう相当と認められる方法で注意、指導することができ、このような注意、指導を行うについては、戒護上適当と認められる場所に勾留中の被告人を呼出し、その場に在席させることができるものと解される。従つて、勾留中の被告人がその出頭を拒否し或いは出頭しながら在席を拒否するなどの挙に出たときには、監獄の長等は、その注意、指導の内容及びこれを行う必要性など諸般の事情に照らし、戒護上必要かつ相当と認められる程度、方法の有形力を行使してこれを強制することもできるものと考えられる。

そこで、これを本件についてみると、〈証拠〉に前記認定事実を加えて判断すると、以下の事実が認められる。

原告は、昭和五一年九月三日午後一時ころ東京地方裁判所七〇一号法廷横被告人専用通路において、他の共同被告人及び戒護の看守らと共に原告らに関する爆発物取締罰則違反等被告事件の開廷を待つていた際、右共同被告人の一人である乙野三治と交談した。これを現認した佐々木看守は原告及び乙野に対し交談を行わないよう指示したところ、原告は同看守に対し交談禁止の根拠を質し、発言を制止する同看守との間で押問答が繰返された。そこへ遅れて他の共同被告人を護送してきた東海林係長がこの状況を目撃し、原告らに対し職員の指示に従うよう注意したところ、原告らは同係長に詰寄り発言制止の根拠を質し、これを制止する同係長との間でけんそうに亘るやりとりが行われたが、折からの裁判官の入廷に伴い原告その他の被告人が入廷することとなり、その場は一旦収まつた。

東海林係長は、各法廷の戒護状況を見回つた後、同日午後二時すぎころ仮監事務室に戻り、深山区長に対し、右のやりとりの顛末を報告したところ、東京拘置所出廷区長として被告人の出廷に関する業務について責任を有する同区長は、同係長に対し以後そのようなことが起こらないように注意、指導を徹底するよう命じた。これを受けて東海林係長は、前記事件の閉廷後仮監の房に戻つた乙野三治らを仮監事務室に呼出し、交談禁止の根拠を説明したうえ以後注意するよう指導したのち、原告を同事務室に呼出した。そして東海林係長は、原告を右事務室にある同係長の机の前に立たせたうえ、いきなり原告に対し「貴様、今日のことは何事だ。根拠だ、根拠だ、とぎやあぎやあ言いやがつて。」などと怒鳴りつけた。これに対し原告は、憤然として東海林係長に対し独居房に戻る旨述べて、いきなり退室しようと事務室出入口方向に向つた。そこで東海林係長の机の付近にいた深山区長は原告を在席させるため、原告の後を追い咄嗟に右手で原告の左上腕部を掴んだところ、原告はこれを振払おうとし、更には同区長の左手首付近を両手で掴むなどしたため、付近にいた菅野看守は両手で原告の両肩ないし首筋の辺を掴み押え「暴行だ。」と叫ぶ原告を東海林係長の机の前まで押戻した。東海林係長は、右のような原告の態度からみて、関連事件の被告人間の交談禁止についての説明を施すことを断念し、法規に従い指示しており、今後同様のことがあれば法規に則つて処置する旨告げたうえ、原告を独居房に戻した。

以上の事実が認められ〈る。〉

右認定事実によれば、原告が乙野三治と交談したことは勾留制度の目的の一たる罪証湮滅防止のため関連被告人間の交通遮断を規定した監獄法一七条に違反するものであるから、佐々木看守がこれを制止したことは正当というべきである。尤も原告は右のような交談については注意を受ける場合と受けない場合があり、後者の方が多かつたから、本件の場合も佐々木看守は注意をする必要はなかつた旨主張するが、佐々木看守のした右注意が特に恣意的に行われたことを窺わせるような事情は認められないし、従前、交談に対する注意が少なかつたか否かは、佐々木看守のした右注意の正当性を何ら左右するものではない。そして、佐々木看守及び東海林係長のように被告人の出廷に際し、戒護する任務を帯びた者は、その任務遂行にあたり被告人に対し必要と認めて行う各種規制の根拠に関し、被告人からの質問に答え、これを教示すべき法律上の義務を負うものではなく、かえつて、開廷直前の法廷横被告人専用通路において、原告が戒護中の職員に対し執拗に規制根拠を問う行為は法廷付近の静謐を害し、また人的施設としての監獄紀律を乱すのものであるから、これをも制止することは、その職責上当然のことといわなければならない。更に、深山区長は、原告ら被告人の出廷に関する業務について戒護の責任を有するから、原告が出廷途上において、共同被告人の一人と交談し、またこれを注意した看守に執拗に反抗するなど、勾留制度の目的に直接牴触しかつ人的施設としての監獄の秩序紀律を害する行動をとつたことにつき、原告に対しできるだけ速やかに改めて注意すること及びこれを徹底させるため東海林係長にその旨指示し、これを受けた同係長が同日中に原告を仮監事務室に呼出したうえ注意、指導したことも当然であつて、このような事情からみて原告らは右の呼出に応じかつ注意指導を受けるに際しては在席を強制されるのもやむをえないというべきである。なお、前記認定事実によれば、東海林係長が原告に対して当初示した言動は聊か穏当を欠くものであるが、前記認定のような経緯に照らすと、それが注意、指導における裁量の範囲を逸脱した内容、方法のものであるとはいい難い。

しかるに原告は、話半ばにしていきなり東海林係長のもとを去ろうとしたのであるから、前示のような同係長の注意、指導の必要性に照らすと、これを押止めるために戒護上必要かつ相当と認められる程度、態様の有形力を行使することもやむをえないというべきであるところ、前記認定のように、原告がいきなり退室しようとしたため、深山区長は咄嗟に片手で原告の左上腕部を掴んでこれを押止めたものであり、また菅野看守は、深山区長の手を掴んで抵抗する原告の両肩ないし首筋を掴み押えて原告の抵抗を制したうえ、注意、指導を行つてい東海林係長の前まで原告を連戻したのであるから、右のような原告に対する有形力の行使は、その方法、程度及び有形力を加えた部位並びに原告をその場に在席させ注意、指導を行う必要性、原告の抵抗の程度に照らし、戒護上必要かつ相当と認められる。原告が主張するように、看守らが原告の進路に立塞がり、原告の退室を阻止、妨害するだけでは、原告の非違行為に対する注意、指導を行うという目的を達成するうえで十分な方法とはいい難い。なお、前記認定のとおり、原告は深山区長に左上腕部を掴まれ、これを振払おうとし、それらの結果傷害を負つたのであるが、それは全治三日程度の挫傷(内出血)であり、退出しようとする者を押止めるため咄嗟に上腕部を掴み、しかも相手がこれを振払おうと抵抗する場合には通常生起する可能性のある軽微な傷害であるから、そのような傷害を生じたからといつて、深山区長の制止行為が直ちに相当性を欠くものということはできない。

従つて、深山区長及び菅野看守の原告に対する有形力の行使は、その正当な職務行為の範囲内においてなしたものと認められるから、被告の主張は理由がある。

四以上のとおりであるから、原告の本訴請求は、その他の点を判断するまでもなく失当としてこれを棄却すべきである。

よつて、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(篠原幾馬 和田日出光 佐藤陽一)

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